今朝から

娘が遠泳合宿に出発してしまいました。RINOを連れてみんなで見送りに最寄の駅まで。

土曜日まで戻りませんので、夫婦二人+ワンで過す一週間となります。


さっそくに今晩の食事は老人食のにほい(笑)。

メインは鮪のたたき。たまねぎスライスにきゅうりの細切りを加えて、その上に鮪を薄くスライス。さらに糸のように切った青しそをたっぷり山にして、うえからたれをかけて。

朝の散歩で手に入れた完熟トマトをただ切っただけ。

さらに朝手に入れた採れたてのナス。さんざん悩んで結局かのこの切り目を入れて油でさっと揚げてしょうがのすりおろしを混ぜためんつゆ薄めをかけて。


ん〜、上手かったけどなんとなく年寄りくさいと思わん?と笑い合いました。

ン十年ぶり

高校卒業ン十年記念の同期会が実家近辺のホテルであり、2ヶ月前から熱心に誘われていて、あまり乗り気ではなかったのですが、根負けするカタチで出席してきました。

懐かしかったといえばその通り。
とにかく「卒業以来初めて会います」という人ばかりで。ま、これはひとえに私の出不精が災いしているのですが、一時期は「行方不明」となっていたそうで、「心配した」と散々言われました。
仕事を旧姓のまましていることもあって、年賀状なども下手すると旧姓で出した年があったようで「別れちゃったのかと思った」とか「不幸な目にあっているのではないか」とか、散々つつかれました(苦笑)。

でも人に疲れてしまったのも事実で・・・。
高校時代といえば、はちゃめちゃしてた時代ですので、顔をあわせたくないとか、あわせられないとか、そういう人も学年全体ともなればいるわけだし…冷や汗も若干かいてきました。


それでも。
あの時期を共に過した気のおけない仲間たちとも、再会して、今後の連絡も約束しあい、思い出話をしたり忘れていた記憶が蘇ったりして、戻らない日々を懐古する幸せというのも感じられたかな。

凹み

どうやら、現在自分は凹んでいるらしい。
どうもね、感覚がにぶい。いろいろなことが、ネガティブに入ってくる感じ。
それでも、癖になってるからか、ひょこひょことあちこちに行って、気持ちにひっかかると持ってきてたけど、、、

ネスタ欠乏症だろうか・・・




こういうときは、何もしないほうがいいよね・・・と、今日になって思った。

遅ればせながら

RINO1歳とちょい。遅ればせながら「お手」「おかわり」習得(笑)。

RINO


ご褒美は、ゆでたブロッコリー。なぜだか、野菜大好きな我が家の次男坊。
RINO
まだかな、まだかな♪

き、きたっ! これでどーだっ!!
RINO


どーお?どーお?上手でしょ?(笑)
RINO


勢いあまって、両手だよ、そりゃ。
RINO


あはん、失敗。これでどーよ。
RINO


たいへん、よくできましたっ!(笑)

今日も今日とて、親馬鹿進行ちぅ・・・むふっ。

ユリ

七月。英語でjuly イタリア語でluglio くらいは知ってたのだけれど、ロシア語ではИюль と書くそうで、これはもう記号以外のナニモノでもないのですが、発音は「ユーリ」なのだそうです。


三宅に、共に就職した仲間の一人が新天地を求めて行ったのは、もう今から20年近く前。
10年、島に根をはって頑張っていたところへ、噴火があり、都内へ移住せざる得なくなりました。
いろいろあって、病気を患い、離婚をし、数年前に自死してしまった、彼。

その彼のお姉さんが三宅から八丈に移って、三宅時代からの仕事を続けられて、毎年見事な百合を栽培されています。お中元やお歳暮に、かの土地から巣立っていくユリたちは、彼の家族やかつての仲間たちの思いをのせています。

そうして送り続けているユリなのですが、先日、恩師から電話がありました。
大学教授を引退されて、自らの活動に余念がなかった恩師の視力が急に失われたのは一昨年。
遺伝性の病気なのだそうですが、いきなりの闇の世界にも、前向きで墨で字を書き、教え子たちが吹き込んだテープで本を読み、口述筆記で本も書く、驚くほどの適応能力を示して元気にしてらっしゃるのですが、奥さんがユリさん、とおっしゃる。
「それはね、家内の父はロシア語のできる人でね、七月産まれの家内の名は、ロシア語のユーリから来ているのですよ」
「長い付き合いですが、あなた、僕の誕生日なんて知らないはずですよね。実は僕も七月生まれなんですよ」
「だから、あなたから届く見事なユリの花束は、我が家にとって大変嬉しいものなんです」

元々誉め上手な人ではあったのですが、この歳になってまたも上手に誉められてしまったわけでした。

青年の頃、同じ場所にいた彼を、
共に過した仲間たちは、彼の未来を信じて見送りました。
天災に、足元からすくわれても、必死にもがいていた彼を、
なんとか救おうと、救える手立てはないかと、できうることはなにかと、こちらも必死でいたのだけれど、
その腕をすりぬけるように、彼は去り、再び見送ることになってしまいました。


どこかに「後悔」がくすぶり残っている気持ちを、今年もみごとに咲き誇る百合にたくし、誰かが喜んでくれることで救われようとしているのかもしれません。
ゆり